スポーツ動作の運動学習

スポーツ現場や運動教育、例えばですが、鉄棒や跳び箱みたいな体育でやっているような運動であろうと、球技などのパスやドリブル、野球やゴルフのスイングなんかも、運動を行うヒトにとっては最初からできていたものではなく、何回かチャレンジしていく中でやっているうちに身につき段々と「できる」対象になっていった運動であると思います。
中にはいきなりできる子もいるかもしれませんが、基本的には一番最初はうまくいかないことが多いはず。
もともとできなかったものができるようになる、これが運動を学習するということになり、「運動学習」とはこれら「できない」運動が「できる」ようになることを目指したものになります。

「練習」という努力があるからこそ、運動が「できない」から「できる」ようになったときに喜びを感じ、もっと「練習」するようになるもの。


先に述べたように、この「できる」という現象は何の努力もなしに可能になるのではなく、そこには意図的に何回も数をかけるという「練習」が不可欠なはず。「練習」という努力があるからこそ、運動が「できない」から「できる」ようになったときに喜びを感じ、もっと「練習」するようになるものです。このように、運動学習とは「できない」運動を「できる」ように、もしくは「できる」運動がをさらに良く「できる」ようにしようとする行為といえるでしょう。

様々なアドバイス、トライ&エラーの上で段々と運動が「できる」ようになっていく。


運動を学習するためには、いわゆる全く何も知らない状態から「はい、どうぞ」では何もできないので、普通は指導者から助言やアドバイスをしてもらったり、また既に存在する練習の中でいろいろと工夫された練習方法を試したみたり、自分の頭のなかにある「できる」選手の映像イメージを駆使してして「できる」を目指すことになります。その結果として段々と「できる」ようになっていくのです。
運動が「できる」ようになることを目指すのは、運動学習の中核を担っていて、「好きこそ物の上手なれ」のように自分でうまく「できる」ようになりたいという願望が、結果として運動学習の効果を高めるための練習となって表れてくるのかもしれません。

量的なものではなく質的にどこまで何ができていて何ができていないのかを本人が感じ、そして学習するために「練習」していくということが大切。


また「できる」「できない」という2つの判断基準ではなく、よりうまく「できる」ようになりたいと選手は思うもの。
やりたい運動を達成「できるか」どうか?、求められる運動を正確に繰り返すことが「できる」かどうか?、運動を安定して行うことが「できる」かどうか?、無駄のない動きが「できているか」どうか?、など運動の質的要素に基づいて、「できる」「できている」という現象を区別するとともに、量的なものではなく質的にどこまで何ができていて何ができていないのかを本人が感じ、そして学習するために「練習」していくということが大切なプロセスになっていきます。

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。